高木の文化・歴史
culture

高木神社

宮園・疣目・安谷・田代の4地区にあり、宮園の高木神社で毎年10/29日に行なわれる宮座行事は福岡県の無形民俗文化財に指定されている。行事には中世修験道の要素が色濃く残り、当時の黒川院を物語る数少ない伝承となっている。

 『この高木神社は江戸時代まで大行事社といわれ、英彦山神領の鎮護を目的とした彦山麓七大行事社の一つである。創建の時期は不明であるが、寄進された最古の資料に天文23年(1554)銘の塁書が確認できる。

高千穂家(現在の英彦山宮司家)に残る記録によると、正慶2年(1333)後伏見天皇の第六皇子助法親王、のちの助有法親王が英彦山座主として九州に下向され、世襲制初代座主に就任したという。翌年には「黒川院」御所を造営し、第一四代舜有座主が豊臣秀吉の九州征伐で降伏するまで、約250年間にわたり、九州における修験道の中心であった英彦山とともに、一大宗教都市として繁栄している。

江戸時代に筑前国が黒田領となると、黒田家との関係が悪化し、黒川に残る歴代座主の墓所や栄華を誇った旧跡は、第2代藩主黒田忠之の破壊命令で消滅してしまう。』(案内板より)

 

 

住所 朝倉市黒川1805
交通アクセス 大分自動車道朝倉ICから車で約25分